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東金簡易裁判所 昭和35年(い)1号 判決 1960年7月15日

被告人 齊藤りう

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は

被告人は昭和三十四年一月十二日亡夫好正の死体を墓地以外の区域である千葉県山武郡成東町井之内二千七百十番地被告人方西南方の山林に埋葬したものである。

というのであつて、本件各証拠によれば、昭和三十四年一月十日正午頃に被告人の亡夫斉藤好正が脳溢血で突然死亡したので、被告人は同月十二日午後右好正の遺体を墓地埋葬等に関する法律第四条に所謂墓地にあらざる千葉県山武郡成東町井之内二千七百十四番地の被告人方西南方の山林(被告人の家屋より約三十三米離れた地点)に埋葬したことが認められる。

そこで、被告人が本件行為の当時、知事の許可のある墓地に埋葬することが期待できたかどうかについて考察する。

一、証人斉藤智子の裁判所に対する尋問調書、同人の当公廷における供述、証人斉藤昌三の当公廷における供述、被告人の当公廷における供述、被告人の検察官に対する供述調書並びに裁判所の検証調書によれば、被告人は亡夫好正死亡の昭和三十四年一月十日の晩、本家の斉藤貞(被告人の夫の兄の妻)に対して右好正の遺体を本家の墓地に埋葬して貰えないかと頼んだところ、右貞の承諾を得たので、本家の墓地に埋葬して貰えるものと信じて、早速近所の者に頼んで本家の墓地である東福寺を埋葬の場所とする埋葬許可申請を致し、その旨の埋葬許可証を得た。ところが、翌十一日にいたつて本家の斉藤昌三(右貞の次男)より親族会議の結果被告人方以外の分家は皆本家の墓地に埋葬していないのであるから、被告人方の場合だけを特別に扱うわけにはいかないこと並びに本家の墓地のある東福寺は真言宗であるが、被告人方では昭和三十三年六月一日に日蓮正宗に改宗し、創価学会に加入しているから、若し、本家の墓地に埋葬した場合、後にお寺の方から改葬をせまられるようなことがあつても困るという理由で本家の墓地に埋葬することを断つて来たこと、しかし他の分家は皆墓地を他に持つているが、被告人方では墓地を他に持つていないこと、千葉県山武郡成東町附近の風習として、火葬は特別の場合以外はしないで、全部土葬することになつているのであるが、好正死亡後すでに二日以上経過しているので、遺体を長く放置しておくことは、腐敗する危険もあつて、衛生上も又死者に対する家族の情としても忍び難いことなので、止むなく十二日の午後被告人は娘の斉藤智子、斉藤昌三及び被告人の義兄の斉藤寛とが相談の上、被告人方の山林内に埋葬し、懇ろに葬つたことが認められる。

二、裁判所の検証調書によれば、被告人の部落の共同墓地である成東町井之内の共同墓地には石塔の間に一尺或は一尺五寸位の間隔で一尺五寸位の高さの埋葬された土盛がところくまなく乱居し、通路もない有様であり、又遺体埋葬の際行われる祭礼をなすべき場所にまでも、他に余地がないため埋葬されて次第に狭くなつている状況で、共同墓地としてはすでに飽和状態であること、共同墓地の東方と西方に右墓地に接続して二個所、又道をへだてた南方に一個所、畑等を個人で買入して墓所とした無許可の墓地があり、その他成東町附近に何個所にも無許可と認められる墓地が点在していることを認めることが出来る。

又証人今関三郎、同斉藤智子の裁判所に対する各尋問調書及び被告人の当公廷における供述によれば、共同墓地は慣習としてその部落の者が祖先から一定の範囲の持分をもつて代々その子孫が埋葬されているのであつて、他の家の分家の者がこゝに埋葬された例は聞かないし、習慣上、頼んでも許されるものではないこと又共同墓地は現在は一杯で他に余地がないために古い土盛を堀りかえし前に埋めた納棺をかたずけて遺体を埋葬している状態であることが認定出来るのであつて、この点右認定に反する小山一郎、戸村忠義の公廷における各供述は、右認定事実と対比すれば軽々しくこれを採用することは出来ない。

三、証人斉藤智子の裁判所に対する尋問調書及び被告人の当公廷における供述によれば、好正は長らく神経衰弱で床についていたが、やつと回復して一年ばかり元気であつたところ、突然脳溢血で急死したため、被告人は大変落胆したこと及び今まで親しくつき合つていた本家が、始めは承諾しておきながら急に宗派が異なるという理由から埋葬を断つて来たので、非常に精神的衝激を受けた事が認められ、右事実と前記の事情により井之内の共同墓地には余席がないこと、被告人が日蓮宗に改宗し創価学会に加入していることから宗教的感情も強く封建制度も鮮明な田舎のことを考え合せれば到底頼んで見てもだめであろうと考えたことは、推測し得ることであつて、万一共同墓地に埋葬を承認されたとしても持分を有する者に対して、種々交渉している間に相当期日が経過することは必定で、それまで埋葬せずに放置しておくことは到底道義上から考えても許されないところである。

四、なお、被告人は行為の当時許可された墓地以外に埋葬することは法により禁ぜられていることを知らなかつたことは、被告人の当公廷における供述によるも知り得るところであるが、当時この地方の人々は殆んど全部といつてよい程右の法律の禁止を知らないのみならず、許可された墓地が何処にあるかもわからない事情であつたことは、証人小山一郎の当公廷における供述に、本件告発前には拡張申請や許可申請はない旨述べられており、又証人石井竜之助の当公廷における供述によれば、墓地について右許可申請を受付けそれ等の事務を取扱う保健所には許可された墓地に関する図面も台帳もなく、右図面は税務署が保管し、台帳は役場にあつて、一般人にとつては非常にわかりにくいものであること、本件発生後本須賀地区の従来事実上墓地で無許可の土地が約八十筆の広範囲に亘つて許可申請がなされた結果、知事の許可を受けて地目変換した例がある事実からして充分これを裏付けることが出来るのであり、しかも右法律自体、その趣旨により一般的に道徳観念と直結するものではなく、なじみの薄いものであることがわかるのであつて、本件発生以前においては保健所その他より右法律の趣旨を徹底普及させるべき何等の措置もこうじた形跡もないことは本件各証拠により明らかに推測し得られるのである。勿論国民の側においても法律を知るための努力をなす義務のあることは当然であるけれども、本件の如き一般的でない法律について国民に対して法律違背の責任を問うためにはやはり国民に対してその趣旨を徹底普及させるべき相当の処置を取るべきであつて、かゝることなくいたずらに違反者に対して、その責任のみを追及することになれば、国民に対する公の信用を失墜することにもなりかねない。

しかも裁判所の検証調書によれば、被告人が亡夫を埋葬した場所は被告人の居宅より約三十三米、最も近い隣家小林幹衛の居宅より約四十五米離れているところであつて、埋葬の場所には輿及墓標等が立派にかざられてきわめて懇ろに葬られており、単に道端に埋められたり或は縁下に埋めたのとは異り、墓地埋葬等に関する法律の立法趣旨である宗教的立場並びに保健衛生の立場をも充分守られているのである。

勿論、法律を知らないからといつて直ちにそれのみで責任を免れることができないことは法律に明記されているところであるが、しかし適法行為を期待することが可能であるか否かは、具体的環境のもとにおいて被告人に適法行為をなすことを期待できるかどうかということであつて、一般的に国民生活と密接にして誰れでも知り得る法律を知らずに犯した場合と、一般的には知ることが困難で国民生活とはなじみの薄い法律を知らずに犯した場合とを比較すれば、後者の方が前者に比較して法律不知の過失は小であり、従つて期待不可能を判断するにあたつても他の客観的事情は前者よりは寛大に解すべきであつて、結局いゝかえれば、右法律不知についても本件の如き特別の場合には期待不可能であつたかどうかの判断の一資料として考慮に入れるべきが妥当であると考える。被告人としては本件の発生当時はこの法律を知つて居たならば場合によつてはもつと何等かの積極的な措置をこうじたかも知れないけれども、たとえ知つていたとしても前述のとおり客観的事情から見て右の行為にでないことを期待することは酷であると云わねばならない。

従つて右の事情をかれこれかん案して見ると、被告人に行為の当時墓地埋葬等に関する法律に適合した行為をなすことを期待できないものと認められる。

右に対する反論として必ずしも土葬による必要はなく火葬とする方法もあるということは考えられるところであるが、しかし期待可能性を論ずるのは或特定の環境の中において被告人に対して適法行為を期待できるかどうかと云う問題であつて、その特別の環境を度外視して考えるべきものではない。

本件の場合を考えて見るに、土葬をなすのがこの土地の慣習であつて火葬の例は特別の場合以外はないことを前記のとおりであつて、右の状況のもとにおいて火葬をなすことを期待することは酷であると云わねばならない。

なお、蛇足ながら、墓地埋葬等に関する法律違反は、同法に所謂墓地以外の場所に埋葬したことにより完成するもので、その後にいたつて改葬しなかつた事実は、同法に何等規定されていない以上責を問うべきところではない。

以上のとおりであるから、本件公訴事実は結局責任性を阻却し罪とならない事に帰するので、刑事訴訟法第三百三十六条に則り被告人に無罪の言渡をなすべきものである。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 安間喜夫)

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